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荷物を身から削ぎ落とし、シンプルに軽やかに生きてゆくための考察ブログ。
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    • 09/22/08:29

    電車に揺られ

    近頃沢山むかむかとします。
    朝の電車!
    何故か一ヶ月に1度か2度の割合で変な乗客の横になってしまうのです。
    ものすごく肘をばしばし当ててくるガタイのいい若者。
    すしずめの中、大きな瞳で被害者の様に訴える女。
    やけに咳払いをしてきついと訴えるおっさん等等。

    全てが本人なりの勇気や主張だと考えている、あくまで自己にしか目を向けていないアプローチ。

    アイタタタタタ

    なにか背中がこそばゆくなる記憶があるねっ

    とか考えている最中・・・
    ふと、気が付きました。
    私はどうもむかつく事があると、その事を心の中心におきブチブチとにサンね血チクチクと毒づく癖があるのです。
    「敵を自分の中心に置く」

    誰しも経験があるような気がしますが、勿体無いと思いませんか?
    何故他人の、しかも敵のことで毒づかなきゃいけない・・・
    ほかの事を考える時間を

    そう、そう、その、「ほかの」重要な事に思いを巡らせたくないから毒づく対象を見つけると心の中心に据えてしまう。
    そうすれば暫くは、大切な事に自己を見詰めて対決しなくてすむからです。

    近頃そんな事に気が付いて、むかつく事があっても余り毒づくことがなくなりました。自分が何故そう思うのか と言う事に気がつくって大切。
    他人から与えられた事でも自分が悪くなかろうが悪かろうが、心に残ったりこだわっていたりと感情が縛られるとき・・心の中では自分自身の何かしらの価値観と思っているものたちや我が働いている物なのです。

    価値観と言えば・・・アイデンティティとか価値観とか聞く言葉ですが、以外にとある刹那的な感情のみを判断材料として生きている場合が多い。まがい物の価値観と言う奴。
    本物の、自己信頼に基づく価値観を見つけている人はほんの一握り。
    私はそうなりたいし、自分が刹那的な部類に入っている事を知っているから近頃は感情の波に気を向けている。
    我がでると、欲が出ると難しいし、目がくらむとはまさしくこのことだと思う。

    内観が ヨガ+スピリチュアルブームに乗って本が結構出ていて、プチブームみたいです。
    確かにやっていなければ、先ず一生気が付かなかっただろう・・・自分を見ることなんて生半可な気持ちでは出来ないし。いくら心や精神的にものすごくきつい修行でも、仕事みたいに「人間として生まれた以上」やらなきゃいけない部類のコトなんだなと思いました。
    タブン、義務なんだよ・・・

    そういえば、私は幸いな事に良い先生に出会いましたが導き手の資格が無いカウンセラーとか、色々といるようです。
    海外で学んだ若いエステティシャンがマッサージしながらスピリチュアルガイドと会話が出来るとか言う東京で流行っている類は、霊性がない人が無理やり話すため止めた方がよい。修行は確かにしたのだと思いますが、所詮商売用の付け焼刃や一時的な能力では内観の先生とするには役不足なのです。
    単なる習い事から始めるとはいえ、内観は自分そのものを見詰める人生の作業なので、先生選びはものすっごく重要なのです。
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